心頭を滅却すれば火もまた涼し

【読み方:しんとうをめっきゃくすればひもまたすずし、分類:故事】

心頭を滅却すれば火もまた涼しは、「心頭を忘却すれば火もまた涼し」とも言い、無念無想の境地にあれば、どんな苦痛も苦痛とは感じないという喩えをいいます。これは、中国の晩唐の詩人である杜荀鶴(とじゅんかく)の詩「夏日悟空上人の院に題す」の中の「安禅必ずしも山水を須いず、心中を滅し得れば自ら涼し(安らかに座禅を組むには、必ずしも山水を必要とする訳ではない。心の中から雑念を取り去れば、火さえも涼しく感じるものである)」に由来し、どんな苦しみにあっても心の持ち方一つで、その苦しみを凌ぐことができることを意味します。

ちなみに、戦国時代の1582年に、甲斐国の恵林寺が織田信長に焼き打ちされた際に、住憎(禅僧)の快川(かいせん)がこの偈(げ)を唱えて焼死したという話が後世に伝えられています。